戦後、50年近く障害がある人たちに不妊や中絶手術を強制した『旧優生保護法』。12歳で子宮を摘出された脳性まひの女性が、裁判にかける思いとは。
「ちょっと飲まして。どんな味か」
神戸市に住む、鈴木由美さん、65歳。脳性まひがあり、生まれつき手足が不自由です。24時間ヘルパーの助けが必要ですが・・・
車いすでの移動のほか・・・スマートフォンの操作も、この通り。
「みんなにこうやって連絡している」
かわいいものやオシャレが大好きで、『できることは自分でやる!』をモットーに、1人暮らしをしています。
「この子(ヘルパー)なんかは息子みたいな感じ。息子みたいな感じよ」
いつも明るい鈴木さんですが、過去に受けた“ある手術”によって人生が一変し、心の奥では、今もその苦しみを抱えています。
「私が12歳になった春かな。日にちも鮮明に覚えてるねんけど、母に『由美、いついつ入院するから』って言われて、『入院ってどこに?なんで入院すんのかな?』って」
幼いころの鈴木さんは、自力で座り、支えられれば立つこともできました。『入院する』と告げられ、『歩けるようになるかもしれない』と思ったといいます。しかし・・・
「手術室の前に来てドア開けたら、いきなりライトがウワーっと光ってるし、白衣着た先生方がようけおるし、ハサミとかを動かす音が聞こえてきて、『何されるのかな』って、思わず『ウワー』って泣き叫んで・・・」
それは、足の手術ではなく、『子宮を摘出する』手術でした。
背景には、1948年に施行された『旧優生保護法』がありました。終戦直後、戦地からの引き上げなどで人口が急増し、深刻な食糧不足に陥っていた日本。生まれる子どもの数を減らすため、国は『障害者は劣っている』」とする『優生思想』に基づき、障害がある人などに強制的に不妊手術を実施したのです。
「北海道では全国に先駆けて、不幸な子どもを生まない運動を推し進めている・・・」(北海道で放送された広報番組)
全国で宣伝活動が行われ、法律が改正された1996年までに、少なくとも約2万5000人が不妊や中絶の手術を受けさせられたとされています。
鈴木さんもその内の1人。12歳で何も知らされないまま子宮を摘出され、長年、後遺症に苦しんできました。
「おばあちゃんが(私が)洗い物をしてたときに『チャリン』ってどっかで聞いたような音がして。『あの怖いときの音や』という気が出てきて、フラッシュバックから緊張で体が曲がらへん。のけぞって、こんなんばっかりで…」
フラッシュバックによるひきつけで1日に何度も注射を打つ状況が続き、寝たきりに。ベッドで横たわる日々を過ごす中、生理が来ないこととおなかの傷跡から、何をされたか理解したといいます。
「これで私は大きくなっても赤ちゃんができない、お母さんになれないっていうのははっきりわかったかな」
車いすに乗る練習を必死に続け、手術から約20年経って、ようやく外出できるように。42歳のとき、交際相手に事情を説明した上で結婚したものの、その後、相手が子どもを欲しがるようになり、5年後に離婚しました。
「やっぱり好きな人の子どもを産みたいのは産みたかったよ」
「腹が立って腹が立って・・・。誰も分からんと思うわ。された人じゃないとわからんと思う」
一度も学校に行けませんでしたが、資格を取るなど、懸命に努力してきた鈴木さん。手術が、『旧優生保護法』という法律に基づくものだったと知ったのは2018年、宮城県で知的障害がある女性が初めて、国に謝罪と賠償を求めた裁判がきっかけでした。
鈴木さんも2年前、声を上げることを決意。兵庫県の聴覚障害がある2組の夫婦とともに、国に謝罪と計5500万円の賠償を求めて提訴しました。これまで誰にも知られてこなかった現実を知ってほしい一心でした。
「やっぱり本当にみんなが『こんなことあったんや』って理解してほしい。裁判官の人には私たちの声を聞いてほしい。みんなと同じ人間やし、人間扱いしてほしい」
先月3日。鈴木さんは、他の原告や支援者とともに神戸地裁に向かいました。すでに判決が下った同様の訴訟5件は全て原告が敗訴。2年に及んだ裁判で訴え続けてきた鈴木さんの思いは届くのか。法廷内に緊張が走ります。
『主文、原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする』
言い渡されたのは、たった二言でした。神戸地裁は、旧優生保護法は違憲とし、長年改正せず放置してきた国会議員の責任にも触れた一方、手術から20年以上が経過し、賠償請求できる『除斥期間』が過ぎているとして、原告の請求を棄却しました。
「私たちの声が届いていなかったと思います。2、30年寝たきりで外にも行けない、情報もない。そんなところで何が除斥期間ですか?」
約1週間後。鈴木さんの自宅には、担当の弁護士の姿が。
「院内集会といって、判決を受けて国会議事堂の中で議員さんも含めて集会するということになります」(細田梨恵 弁護士)
すでに、次に向かって動き出していました。国が植えつけた『障害者は劣っている』という思想は、今も根深いと話す鈴木さん。これからを生きる人たちのためにも戦い続けるといいます。
「障害があるからあきらめるんじゃなくて、何年かかっても何十年かかっても勝つまでやっていきたい。命が続くまでやっていかないと意味が無いと思うし、私の人生戻ってこないけど、そういうふうにしていきたい」
ABCニュース20210928
強制不妊手術!48年6月、超党派で議員提案され、同月に全会一致で可決、同9月に施行、49年5月に改正された。