<障害者の強制不妊手術>審査経緯明らかに 検診録など発見

旧優生保護法の下で実施された障害者の強制不妊手術について、手術を申請した理由や経緯を記録した資料が神奈川県立公文書館で見つかった。10代女性が「月経の始末もできない」として対象になるなど、優生手術の具体的状況が公文書で初めて明らかになった。

発見されたのは1962年度と63年度、70年度の公文書で、強制不妊手術の適否を決める優生保護審査会に提出された申請書や検診録など。対象者の生活史や家系図、申請理由が書かれていた。利光恵子・立命館大研究員が資料を分析して存在を確認した。

63年度の手術費明細書からは、優生保護法で認められていない卵巣摘出をした例や、手術で合併症を起こした例があったことも分かった。62年度の資料によると、「仕事熱心で成績も優秀」とされた男性が統合失調症を発症後、半年後には症状が好転していたにもかかわらず断種手術の対象になった。

優生保護法による強制不妊手術は48~96年に全国で計1万6475件、うち神奈川県で403件実施された。審査には障害者本人の成育歴や生活状況のほか、家族の疾患や職業が書き込まれた家系図も提出されていた。利光研究員は「当時は適法でも、このような理由で手術が強制されていたことは驚きだ。入院が1カ月に及んだ人もおり手術が心身に大きな影響を与えていたことが分かる」と指摘する。

松原洋子・立命館大教授(生命倫理学)は「強制不妊手術がどのように申請され審議されたかが分かる貴重な資料。全国の実態解明への足がかりとなることが期待される」と話す。

これらの強制不妊手術について、国連女性差別撤廃委員会は2016年3月、日本政府に被害の実態調査と補償を勧告したが、政府は「適法に実施されたものであり、補償は困難」との見解で実態解明は進んでいない。【上東麻子】

【ことば】優生保護法

「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に1948年制定。遺伝性疾患や精神障害、知的障害、ハンセン病の人に対する不妊手術や人工妊娠中絶を認め、本人の同意を必要としない強制手術もあった。障害者らの尊厳を踏みにじると批判され、96年に約6割の規定を削除して「母体保護法」に改定された。日弁連によると、中絶手術は約5万9000件、不妊手術は本人の同意を得たものも含めると約2万5000件が実施された。

◇解説 実態解明に一歩

今年7月、知的障害を持つ60代女性が強制不妊手術を受けたことを示す記録が宮城県で見つかり、障害者への不妊手術の証言が初めて公文書で裏付けられた。しかし、審査の具体的な中身は分からず、他の証言も裏付ける公的資料が不十分で強制手術の実態はほとんど明らかになっていなかった。行政機関は最低保存期間が経過した公文書を機械的に廃棄する傾向が強いためだ。今回の資料で審査過程の一端が明らかになる意義は大きい。

旧優生保護法の前身の「国民優生法」(1940年制定)は、多くの精神障害者らが殺されたナチス・ドイツの「断種法」をモデルとしていた。ドイツは戦後、被害者に補償金と年金を支給。同様に障害者への不妊手術を合法化していたスウェーデンも90年代に実態調査し、補償を始めた。一方、日本では過去の強制不妊手術に対する謝罪や補償は全くなされていない。

強制不妊手術の対象は7割が女性だった。国は「当時は適法だった」と繰り返すのではなく、体を傷つけられた被害者の声を真摯(しんし)に受け止めるべきだろう。優生思想に基づく施策の過ちを検証することなしに、真の「共生社会」は訪れない。【毎日新聞11/16、上東麻子】