断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性 羽交い締め 屈辱の手術

出来上がった畝を見下ろし、くわに手を置いて一息入れていた時だった。突然、背後から男性職員2人に羽交い締めにされ引きずり出された。必死にもがく男性を押さえ、職員は耳元で言い放った。「おまえの番だ」。連れて行かれた場所は手術室だった。手術台に寝かされた男性はふんどしを看護婦にはぎ取られた。指で性器をぱちぱちとはじく看護婦の顔には薄笑いが浮かんでいた。

沖縄県名護市済井出にあるハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」に強制隔離された男性(97)は、1947年ごろ、強制された断種の様子を初めて証言した。今も家族にすら明かせない体験を語るその口調は怒りに満ちていた。「人間のやることじゃない」

ハンセン病は以前「らい病」と呼ばれ、病名そのものに偏見が含まれていた。国は1907年、「ライ予防ニ関スル件」を公布し、31年に「癩(らい)予防法」を制定した。沖縄を含め、全国で患者の強制隔離を進め、「患者根絶」を図った。愛楽園は1938年、設立された。沖縄戦と米統治を経て、今も147人の元患者が暮らす。

不妊手術を強制された男性は20代前半で愛楽園に隔離された。園で出会った女性と恋仲になり、25歳で結婚した。

男性は、隔離された人々への強制不妊が施されていたことは知っていた。愛楽園では園内で暮らすことや、結婚を条件に断種を実施した。入所者名簿を基に、看護婦や職員が対象者を呼び出して施術した。呼び出しに応じないものは探し出して手術台へ連行した。

当時、愛楽園は一つの村のような広さがあり、強制的に連れてこられた人々と医師らの居住区はそれぞれ分かれていた。「断種しないと園におられなかったから、呼び出しに応じた人もいた。だけど、私は園内を逃げ回っていた」

「妻に腹いっぱい食べさせてやりたい」。おびえながらも、農作業に汗を流す日々がしばらく続いたが、園が男性を見逃すことはなかった。

あれから70年余。男性は屈辱的な光景が今も脳裏を離れない。「国にとってね、私らは人じゃなかった。恥よ。恥の子供を残させんと考えていたんだろう」。コンクリートの手術台に男性は全裸で押さえ付けられた。医師は有無を言わさずメスを入れた。

愛楽園内にある病棟。命が宿り膨らんだおなかをめがけ、看護婦が針を突き立てた。薬剤を注射され、母親のおなかから死産で出された赤ちゃんは真っ黒に変色していた。愛楽園は男性への断種だけでなく、妊娠した女性の堕胎も強制していた。

1950年、9歳で愛楽園に収容された金城幸子さん(77)=うるま市=はのちに回復者として実名を公表し、ハンセン病をめぐる社会の責任を長く訴えてきた。その中でも、金城さんにとって強烈な記憶として残る出来事がある。入所以来、金城さんを妹のようにかわいがってくれた女性から聞いた話だった。

その女性が妊娠すると、愛楽園の医師らが堕胎させようと注射をおなかに打ったが、赤ちゃんは生きたまま母胎から産まれた。だが、看護婦は赤ちゃんを体重計の皿に置き、そのまま放置した。赤ちゃんは母親を求めるかのように、小さな手足を懸命にばたつかせた。しかし、誰も手を差し伸べず、赤ちゃんはやがて動かなくなった。「治療されてたら今も生きている命だ」。見殺しにされた赤ちゃんを思い、金城さんの涙は今も止まらない。

ハンセン病患者・回復者の女性は妊娠すると、家族や知人を頼って園外に逃亡し、周囲に知られないよう出産するしかなかった。堕胎させられた赤ちゃんの遺体は、親が自ら園内に埋めた。

51年、9歳だった金城さんは愛楽園内の小屋に偶然入った。普段は施錠され、試験室と呼ばれる場所だった。内部は薄暗い。目を凝らすと、壁際の棚には複数のガラス瓶が置かれていた。中に入っているのは、人間だということが少女の目でも分かった。瓶の高さは30センチほど。胎児だけでなく大人の大きさの手、内臓のようなものまで、それぞれの瓶に入っていた。「こんなことが許された。まるで動物だ」。その衝撃は金城さんの中で怒りに変わった。

愛楽園交流会館などによると、園内の強制断種・堕胎は戦前から行われてきた。断種と堕胎の強制は繰り返されてきたが、「vasketomie(断種)」と記された患者カルテが複数枚残っているだけで、多くはカルテに記載されなかった。ホルマリン漬けの胎児について証言する元患者も多い。しかし、その内容や目的、現存するか否かなど今も未解明な点がほとんとだ。実態が闇から闇に葬られることへ、元患者らの懸念は根強い。

愛楽園自治会は2007年、産まれることを許されなかった赤ちゃんたちを慰霊する「声なき子供たちの碑」を園内に建立した。子どもたちを悼む琉歌が刻まれた。「天と地の恵み しらん水子たや やみの世の嵐 うらみきるな」(天地の恵みを受けずに逝った子よ 縁無き世相を恨まず蓮上の華となり 咲いてくれることを父母は祈っています)

断種を強制された男性は70年がたつ今も、怒りと悔しさで叫び出しそうになる。堕胎された友人の子を布できれいに巻いて一緒に園内に埋葬したこともある。「国による殺人さ。あんた、どう思うね」。男性は赤く腫らした目でこう問い掛けた。 (佐野真慈)

◇   ◇

名護市済井出の愛楽園開園から11月で80年を迎える。19、20日には県内で7年ぶり2回目となる全国「第14回ハンセン病市民学会総会・交流会」も開かれる。回復者の証言などを通し「らい予防法」廃止から22年が経過してもなお残る回復者や家族の苦しみを探る。

琉球新報社5月17日

広告

「怖くて断れなかった」障害者施設で性的虐待 所長の男性が利用女性に

障害者の自立を支援する福岡県久留米市の就労移行支援事業所の所長だった40代男性が昨年末、女性利用者(20)にわいせつな行為をしていたことが本紙「あなたの特命取材班」への情報提供で分かった。女性が住む自治体は障害者虐待防止法に基づき性的虐待と判断し、久留米市は近く是正指導する方針。施設側は取材に対し、不適切だったと認め、事業所を閉鎖する意向を示した。

女性の家族などによると、女性には中度の知的障害があり、精神年齢は小学校高学年程度。調理の仕事に就くことを希望し、昨夏からこの事業所に通っていたが、調理中に胸を触られるなどしたほか、昨秋と昨年12月には訓練の時間内にホテルでわいせつ行為を受けたとしている。

「死にたい」と周囲に漏らす

女性は取材に、包丁さばきがうまくいかない時に男性から「へたくそ」と怒鳴られたり、強く手を引っ張られたりすることがあり、わいせつ行為をされても「怖くて断れなかった」と説明。無料通信アプリでやりとりする中で「好き」と自ら送ったこともあったが、「怒られるのが嫌で先生に合わせていた」と話した。

昨年末、女性が福祉関係者に打ち明けて発覚。通報を受けた自治体が聞き取りを行うなどして調査していた。女性は事業所に通えなくなり、「死にたい」と周囲に漏らすなど情緒不安定になっているという。

障害者施設の職員などによる虐待は401件

男性の妻で施設側の代表者を務める女性は取材に応じ、ホテルの利用記録が残っていた昨年末のわいせつ行為を認め、「福祉事業者としては不適切だった」と話した。ただ、「お互い好きになった結果。20歳を超えており、はっきり言って不倫」とも述べた。

厚生労働省の2016年度調査では、障害者施設の職員などによる虐待は401件で、前年度比18%増。被害者は672人に上った。虐待行為の内訳は身体的虐待57%、心理的虐待42%など。被害が表面化しにくいとされる性的虐待も12%あった。【あなたの特命取材班】

●SNSで調査報道の依頼を受付中!

西日本新聞「あなたの特命取材班」は、暮らしの疑問から地域の困り事、行政や企業の不正告発まで、SNSで寄せられた読者の情報提供や要望に応え、調査報道で課題解決を目指します。ツイッターやフェイスブックの文中に「#あなたの特命取材班 」を入れて発信してください。

西日本新聞社4月23日

新婚女性を拘束、吐血・痙攣しても薬を与えず、口封じの脅迫―東京入管の難民虐待が酷すぎる

志葉玲  | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

難民条約を批准しているにもかかわらず、迫害から逃れて来た難民を、不当に刑務所のような収容施設に拘束している日本。東京入国管理局の収容施設で、また新たな難民への虐待疑惑が浮上した。パニック障害を抱える22歳の難民女性に対し、普段服用している薬を与えず、独房に閉じ込めた上、発作を起こしても放置した上、口封じの脅迫まで行っているというのだ。

◯結婚から間もなくの拘束

 

 

 

トルコ籍クルド人女性のメルバン・ドゥールスンさん(22歳)は、彼女が6歳の頃、少数民族のクルド人への人権弾圧が横行するトルコから、両親に連れられて来日した。メルバンさんは、小学校、中学校と日本で義務教育を受け、高校も2年生まで通った。「どうせ、いつか強制送還されるのだから学校なんて行っても無駄。早く辞めてしまえ」という心無い入管職員の言葉に強いショックを受け、高校を中退するなど苦い経験もしながら、メルバンさんは日本育ちのクルド難民として、アイデンティティを確立していく。そして、メルバンさんは昨年、在留・就労資格のある在日外国人の男性と結婚した。だが、結婚から間もない昨年11月、東京入管に拘束されてしまったのだ。筆者の取材に対し、メルバンさんは流暢な日本語でこう説明する。

「私が子どもの間は、父親が入国管理局に難民認定の申請をしたのですが認定されず*、仮放免という扱いで、私達は日本にいることができました。成人したため、私は入管関係の手続きを自分でしており、これまで滞在できていたにもかかわらず、今回、突然拘束されてしまいました」。

メルバンさんは犯罪に関わったわけではなく、仮放免の手続きも入管の指示通りに行っていたという。それにもかかわらず、メルバンさんが今回拘束された理由の詳細については、弁護士が調査中だが、メルバンさんは「5歳の頃からずっと日本にいたのに、なぜ突然、しかも結婚したばかりで、拘束されるの?」との思いに囚われている。「辛いです。夫と一緒にいたい。彼のことが心配です」(メルバンさん)。

*筆者注:

親日国トルコへの配慮なのか、法務省・入国管理局はトルコ出身のクルド人に対し異常に厳しく、彼らが難民認定されたケースは過去一例もない。

◯吐血、痙攣を起こしているのに、薬の持ち込みを禁止

拘束中の状況にも重大な問題がある。メルバンさんは数年前からパニック障害に悩まされるようになり、個人輸入で得た外国産の治療薬を服用していた。ところが、拘束されてから、その薬の持ち込みが許されず、発作が頻発するようになったのだという。

「拘束される以前は、発作もほとんど出ないまでに回復していました。しかし、拘束されてからは、薬を飲むことができないので、症状は悪化していて、頻繁に発作が起きるようになってしまいました。手足が痙攣したり、熱が上がったり、血を吐いたり…本当に苦しいです」(メルバンさん)。

メルバンさんの症状が悪化しているのに、薬の持ち込みを認めないのはなぜか。筆者が東京入管に問い合わせたところ、「個別の問題としてではなく、一般論として言えば、悪意ある面会者が被収容者に毒物を与える、或いは被収容者自身が自殺することを避けるため」との回答を得た。しかし、それならば、医師の管理の下、必要な薬を調達したら良いことだ。入管側は、一度メルバンさんを施設外の病院で診療を受けさせたものの、症状は改善しないまま。結局、メルバンさんの健康はおざなりにされている。

◯独房に入れられ、発作を起こしても放置される

入管側は「他の被収容者に悪影響」と、メルバンさんを雑居房から独房に移したことも、彼女を危うくしている。「他の被収容者の人々は『伝染する病気じゃないし、独房で何かあったら大変だから私達が面倒を見る。このまま雑居房に居させた方がいい』と言ってくれたのですが、入管側は聞き入れませんでした。入管側は『独房には監視カメラもあるから何か異変があれば対応する』と言っていたのですけど、先日の夜、発作を起こした際、私はのたうち回りながら、何度も『誰か助けて!』『救急車を呼んで!』と叫んでいたのに、結局、誰も来ず、本当にこのまま死んでしまうのではないか、と思いました」(メルバンさん)。

実際、入管が適切な医療を受けさせず、被収容者を死なせてしまった事例はいくつもある―クルド難民弁護団事務局長で日本の入管行政の問題に詳しい大橋毅弁護士は外部の監視が及びにくい入管施設での危険性について指摘する。

「2014年3月に東日本入国管理センター(茨城県牛久市)で、カメルーン人の被収容者が死亡した事件は、典型例でしょう。この事件では、カメルーン人の男性が体調不良を訴え、独房で苦しんでいる様子を、入管職員らは監視カメラで確認出来たにもかかわらず、7時間も放置した挙句に死なせてしまった。遺族らは、昨年9月、国の責任を問う訴訟を起こしています。こうした死亡事件では、そのほとんどが、苦痛を訴える被収容者を雑居房から独房に移し、孤立させています。メルバンさんの状況も、病気で苦しむ彼女をケアするためというよりは、他の被収容者の目の届かないところに移すことが入管側の目的なのではないでしょうか」(大橋弁護士)。

◯「解放呼びかけをやめさせろ」と入管職員が脅迫

 

 

 

メルバンさんの症状が悪化しているのに、薬の持ち込みを認めないのはなぜか。筆者が東京入管に問い合わせたところ、「個別の問題としてではなく、一般論として言えば、悪意ある面会者が被収容者に毒物を与える、或いは被収容者自身が自殺することを避けるため」との回答を得た。しかし、それならば、医師の管理の下、必要な薬を調達したら良いことだ。入管側は、一度メルバンさんを施設外の病院で診療を受けさせたものの、症状は改善しないまま。結局、メルバンさんの健康はおざなりにされている。

◯独房に入れられ、発作を起こしても放置される

 

 

 

入管側は「他の被収容者に悪影響」と、メルバンさんを雑居房から独房に移したことも、彼女を危うくしている。「他の被収容者の人々は『伝染する病気じゃないし、独房で何かあったら大変だから私達が面倒を見る。このまま雑居房に居させた方がいい』と言ってくれたのですが、入管側は聞き入れませんでした。入管側は『独房には監視カメラもあるから何か異変があれば対応する』と言っていたのですけど、先日の夜、発作を起こした際、私はのたうち回りながら、何度も『誰か助けて!』『救急車を呼んで!』と叫んでいたのに、結局、誰も来ず、本当にこのまま死んでしまうのではないか、と思いました」(メルバンさん)。

実際、入管が適切な医療を受けさせず、被収容者を死なせてしまった事例はいくつもある―クルド難民弁護団事務局長で日本の入管行政の問題に詳しい大橋毅弁護士は外部の監視が及びにくい入管施設での危険性について指摘する。

「2014年3月に東日本入国管理センター(茨城県牛久市)で、カメルーン人の被収容者が死亡した事件は、典型例でしょう。この事件では、カメルーン人の男性が体調不良を訴え、独房で苦しんでいる様子を、入管職員らは監視カメラで確認出来たにもかかわらず、7時間も放置した挙句に死なせてしまった。遺族らは、昨年9月、国の責任を問う訴訟を起こしています。こうした死亡事件では、そのほとんどが、苦痛を訴える被収容者を雑居房から独房に移し、孤立させています。メルバンさんの状況も、病気で苦しむ彼女をケアするためというよりは、他の被収容者の目の届かないところに移すことが入管側の目的なのではないでしょうか」(大橋弁護士)。

◯「解放呼びかけをやめさせろ」と入管職員が脅迫

 

 

 

東京入管側がメルバンさんを脅し、精神的にも追い詰めている疑いもある。入管内の人権問題に取り組む市民団体「SYI」(収容者友人有志一同)は、FAXや電話でメルバンさんの解放を入管に求めていくよう、ネット上等で呼びかけている。SYIの織田朝日さんは「面会で会いに行く度に、メルバンがやつれていることが、本当に心配ですし、辛いです」と危機感を募らせるが、入管側は織田さん達の訴えに耳を貸すどころが、メルバンさんを脅迫したのだという。

「B466とのバッジをつけた入管の女性職員が、先日の夜、私のところに来て、『あなたの解放を求めるFAXや電話をやめさせなさい。さもなければ、家族や友人との面会も出来なくするし、自由時間に共同スペースに行くことできず、ずっと独房にいることになりますよ』と言ってきたのです。でも、私は脅しには屈したくないので『嫌です』と断りました。すると、その職員は突然『応援してもらって良かったなぁー、応援してもらって良かったなぁー』と大声で何度も叫び始めました。とても不気味で、怖かったです」(メルバンさん)。

後日、入管職員「B466」は、メルバンさんに「脅すつもりはなかったのよ」と弁明。その職員に対し、メルバンさんが「応援をやめさせろというのは、あなた個人の要求ですか?それとも東京入管としての要求ですか?」と問い質したところ、「東京入管としてのもの」とその入管職員は答えたのだという。

入管職員に脅迫されて以降、メルバンさんは悪夢にうなされるようになった。「入管職員に、首を絞められたり、熱湯をかけられたりする夢を見るようになって…あまり眠れなくなりました」。睡眠障害は、ただでさえ体調が悪化しているメルバンさんを、ますます衰弱させている。

◯国連の人権理事会や拷問禁止委員会も幾度も是正勧告

 

 

 

虐待とも言える、収容施設内でのメルバンさんの扱いについて、筆者は東京入管へ事実確認を求めた。だが、入管側の返答は「個別のケースには回答できない」という、お決まりのものであった。入管の収容施設での人権状況については、第三者機関として、入国者収容所等視察委員会が、各収容施設の視察や被収容者への聞き取りなどを行っているものの、チェック機能が充分働いているとは言い難い状況だ。昨年、筆者が配信した記事の中で、児玉晃一弁護士が語っていたように、収容施設の視察はイギリスを見習うべきだろう。同国では、人権侵害が行われていないか、待遇面等で改善すべき点はないか、6,7人のチームが徹底的に5日間視察して、A4用紙で100ページくらいの勧告を行うなど、質・量ともに日本のそれとは全く異なる。

そもそも、難民やそれに類すると思われる人々を、数ヶ月から1年以上、時には2年以上もの長期にわたり、収容所に拘束していること、迫害の恐れのある国に送還するという、日本の入管行政自体が、国連の人権理事会や、拷問禁止委員会などからも繰り返し、是正勧告を受けていることだ。

メルバンさんは「仮に悪いことをしたなら、収容所に拘束されても、強制送還されても仕方ないと、私も思います。でも、悪いことを何もしていない人々を拘束することはやめてほしい。日本にいさせて欲しい」と訴える。

いつまで、日本は、迫害を逃れてきた難民を、難民として認めず、苦しい体験をしてきた人々にさらなる苦しみを味わわせるといったことを続けるのか。政府与党は勿論のこと、野党や市民社会も、その人権感覚が問われている。

今年を振り返って なぜこんな法律が

旧優生保護法の下、10代で強制的に不妊手術をされたとして、知的障害のある県内の60代女性が国を相手に初の国家賠償請求訴訟を起こす。この法律は、医師が必要と判断すれば都道府県の審査を経て同意なしで障害者らへの不妊手術を可能としていた。「障害者は子を産んではいけないのか」。そう訴える女性の義姉の言葉が胸に突き刺さった。

この問題を巡り、私には人ごとにできない事情がある。私は軽度の吃音(きつおん)を抱えている。最初の一音が出にくいなどなめらかな発話ができない疾患で、日本では発達障害として精神障害者手帳交付の対象にもなっている。

吃音はかつて、幼児期の成育環境などが原因とされてきたが、近年の研究では遺伝的要因も少なくないとされている疾患だ。優生保護法が母体保護法に改正されたのは、私が小学生だった1996年。もし自分がもう少し早く生まれ、国が吃音を遺伝性疾患と認定していれば、「不良な子孫の出生防止」を名目に強制不妊手術の対象になっていたかもしれない。そんな思いもよぎり、複雑な気持ちになった。

女性側の請求で県が開示した「優生手術台帳」によると、女性が手術を受けたのは「遺伝性精神薄弱」が理由だった。だが、女性の母は生前「(女性が)1歳時に手術した際、麻酔が失敗し障害が残った」と話していたという。姉がその後、県に開示請求した別の記録には女性の成育歴に「遺伝負因無し」などと明記され、台帳と食い違っていた。

手術の審査過程そのものもずさんだったのではないか--。手術の詳しい実態がいまだに明らかになっていない以上、女性や姉と同様、私もそんな疑念を抱かざるをえなかった。

改正されたとはいえ、差別的な考えが組み込まれた法律が20世紀の終わりまで存在していたという事実にも驚いている。優生思想を克服する--。言うのは易しいが、なぜこんな法律がつい最近まで生き延びてきたのかを解き明かさなければ、本当の意味での克服はできないだろう。

この問題は人ごとではない。根気強く取材を続けようと改めて思った。【毎日新聞1月27日、遠藤大志】

<優生手術>元勤務医、強制不妊の実態証言 結婚理由に

「優生手術」と呼んで知的障害者や精神障害者らへの強制不妊手術を認めた旧優生保護法(1948~96年)の下、東京都立病院が、精神疾患と診断された20代女性について結婚を理由に優生手術が必要と都に申請していたことが、同病院の元勤務医が保有していた資料で明らかになった。この精神科医は、自らも優生手術に関わったことを認めた上で「審査過程はずさんなケースも少なくなかったと考えられる」と振り返った。優生手術の実態を当事者の医師が明らかにするのは異例。【「優生手術」と呼んで知的障害者や精神障害者らへの強制不妊手術を認めた旧優生保護法(1948~96年)の下、東京都立病院が、精神疾患と診断された20代女性について結婚を理由に優生手術が必要と都に申請していたことが、同病院の元勤務医が保有していた資料で明らかになった。この精神科医は、自らも優生手術に関わったことを認めた上で「審査過程はずさんなケースも少なくなかったと考えられる」と振り返った。優生手術の実態を当事者の医師が明らかにするのは異例。【遠藤大志】

資料を保有していたのは岡田靖雄医師(86)=東京都杉並区。「法律は差別的だった」と認め、「自分が手を貸した事実は隠さない」と実名で取材に応じた理由を語った。

岡田医師は56年に医師になり、58~66年に都立病院精神科に勤務。在職中の64年ごろ、自身は知的障害のある女性への優生手術の申請に関わったという。保有する資料は岡田医師が勤務する以前のもので、同病院が都の優生保護審査会に提出した「優生手術申請書」と「健康診断書」(いずれも50年5月25日付)、同審査会が手術の適否を判断するための「調査書」(同年6月10日付)の計3点。優生手術は精神科医が審査会に要請する仕組みだった。

申請書は「精神分裂病」で入院中の当時22歳の女性に関するもので、「結婚話が進行しつつあるが、その為優生手術をうける必要があると考へられる。当人の父方祖母に精神病者あり同胞には分裂気質の著名なものがある」と記述。一方で健康診断書には「家庭生活に耐へる能力があると思はれる」との見解を示していた。

調査書には女性の生活史などが記され、「外部に働いている男患者と仲よくなり、しばしば往来あり、注意中」などと、ここでも妊娠を問題視していた。

この女性が実際に手術を受けたかは分かっていない。岡田医師は家族の病歴の調査なども十分に行われていなかった恐れがあると指摘し、「後悔しているとか自責の念があると言えば格好いいが、当時は普通のことで問題となることはなかった」と述懐。自身が関わった手術の後、遺伝と精神疾患を結びつける優生保護法に医学的見地から疑問を抱き、論文などで「法律は差別的だった」と批判する中で病院内で三つの資料を入手した。

岡田医師は「国は早急に実態を調査し、強制的に手術を受けた人たちに十分な償いをすべきだ」と語る一方、「真相を究明するためにも、多くの人が訴え出てほしい」と望んだ。

◇宮城の女性、30日に国賠提訴

旧優生保護法を巡っては、15歳で優生手術を受けた宮城県の60代女性が30日、「個人の尊厳や自己決定権を保障する憲法に違反している」などとして、全国初の国家賠償請求訴訟を仙台地裁に起こす。弁護団は手術を受けた人たちが泣き寝入りしている可能性があるとみて、提訴後の2月2日、当事者を対象にして電話相談を始める。

宮城県が保管していた「優生手術台帳」によると、女性は1972年12月、「遺伝性精神薄弱」を理由に卵管の峡部(きょうぶ)を縛る手術を強制された。手術後、腹部にたびたび違和や痛みを覚え、87年ごろに入院。卵巣の組織が癒着する卵巣嚢腫(のうしゅ)と診断され、右卵巣の摘出を余儀なくされた。不妊手術を理由に縁談が破談となり、現在も独身。

国は「当時は適法だった」などと謝罪や実態調査には応じない構えを見せている。

【ことば】旧優生保護法

ナチス・ドイツの「断種法」がモデルの国民優生法が前身。「不良な子孫の出生防止」を掲げ、知的障害や精神疾患などを理由に本人の同意なしでも不妊手術を認めた。結婚の際には手術を受けたことを相手側に「通知しなければならない」と定めていた。日弁連によると、96年に母体保護法に改定されるまで、強制的な不妊手術は約1万6500件に上った。遠藤大志】

資料を保有していたのは岡田靖雄医師(86)=東京都杉並区。「法律は差別的だった」と認め、「自分が手を貸した事実は隠さない」と実名で取材に応じた理由を語った。

岡田医師は56年に医師になり、58~66年に都立病院精神科に勤務。在職中の64年ごろ、自身は知的障害のある女性への優生手術の申請に関わったという。保有する資料は岡田医師が勤務する以前のもので、同病院が都の優生保護審査会に提出した「優生手術申請書」と「健康診断書」(いずれも50年5月25日付)、同審査会が手術の適否を判断するための「調査書」(同年6月10日付)の計3点。優生手術は精神科医が審査会に要請する仕組みだった。

申請書は「精神分裂病」で入院中の当時22歳の女性に関するもので、「結婚話が進行しつつあるが、その為優生手術をうける必要があると考へられる。当人の父方祖母に精神病者あり同胞には分裂気質の著名なものがある」と記述。一方で健康診断書には「家庭生活に耐へる能力があると思はれる」との見解を示していた。

調査書には女性の生活史などが記され、「外部に働いている男患者と仲よくなり、しばしば往来あり、注意中」などと、ここでも妊娠を問題視していた。

この女性が実際に手術を受けたかは分かっていない。岡田医師は家族の病歴の調査なども十分に行われていなかった恐れがあると指摘し、「後悔しているとか自責の念があると言えば格好いいが、当時は普通のことで問題となることはなかった」と述懐。自身が関わった手術の後、遺伝と精神疾患を結びつける優生保護法に医学的見地から疑問を抱き、論文などで「法律は差別的だった」と批判する中で病院内で三つの資料を入手した。

岡田医師は「国は早急に実態を調査し、強制的に手術を受けた人たちに十分な償いをすべきだ」と語る一方、「真相を究明するためにも、多くの人が訴え出てほしい」と望んだ。

◇宮城の女性、30日に国賠提訴

旧優生保護法を巡っては、15歳で優生手術を受けた宮城県の60代女性が30日、「個人の尊厳や自己決定権を保障する憲法に違反している」などとして、全国初の国家賠償請求訴訟を仙台地裁に起こす。弁護団は手術を受けた人たちが泣き寝入りしている可能性があるとみて、提訴後の2月2日、当事者を対象にして電話相談を始める。

宮城県が保管していた「優生手術台帳」によると、女性は1972年12月、「遺伝性精神薄弱」を理由に卵管の峡部(きょうぶ)を縛る手術を強制された。手術後、腹部にたびたび違和や痛みを覚え、87年ごろに入院。卵巣の組織が癒着する卵巣嚢腫(のうしゅ)と診断され、右卵巣の摘出を余儀なくされた。不妊手術を理由に縁談が破談となり、現在も独身。

国は「当時は適法だった」などと謝罪や実態調査には応じない構えを見せている。

【ことば】旧優生保護法

ナチス・ドイツの「断種法」がモデルの国民優生法が前身。「不良な子孫の出生防止」を掲げ、知的障害や精神疾患などを理由に本人の同意なしでも不妊手術を認めた。結婚の際には手術を受けたことを相手側に「通知しなければならない」と定めていた。日弁連によると、96年に母体保護法に改定されるまで、強制的な不妊手術は約1万6500件に上った。毎日新聞1月27日

強制不妊手術拒む家族を侮蔑 旧優生保護法下の開示文書

疾患や障害を理由に断種の適否を決めた優生保護審査会の公文書は、強制不妊手術の実態が分かる貴重な記録だが、保存期限が切れて全国で廃棄が進む。滋賀県の開示文書からは、手術を拒む女性の家族を「無知と盲愛」と侮蔑(ぶべつ)し、本人の意思に反して生殖能力を奪おうとした旧優生保護法や行政の暗部が垣間見える。

1971年2月2日。小児科内科の医師が県優生保護審査会に、草津保健所管内で暮らす20代未婚女性への優生手術の審査を申請した。健康診断書によると病名は「先天性精神薄弱」、申請理由は「遺伝因子を除去するため」。法的には必要ないが、「調査勧奨」に応じたとする親の承諾書も添えられていた。

県は審査会を開くことなく持ち回りの審査で、「優生手術を適当と認める」(同21日付)と決定した。審査委員は県厚生部長、大津地検次席検事、県医師会長、病院理事長、病院長、県産婦人科医会長、県社会福祉協議会長の7人が務め、全員が押印した。

5日後、県は女性や親宛てに「遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要」として指定の病院で3月20日までに手術を受けるよう通知した。草津保健所長に対しても「手術が期限内に必ず完了」するよう指導を求めた。だが、女性は期限内に病院を訪れなかった。県の文書には「保護義務者の無知と盲愛のため、関係者(草津保健所、町)の説得にもかかわらず拒絶し続け」とある。

審査を申請した医師は3月16日、審査会長宛てに異例の優生手術中止届を出した。県の開示文書が黒塗りのため内容は判読できない。草津保健所も県厚生部長に「手術中止の申し出がありましたのでよろしくお取計らい願います」との文書を送っている。

旧優生保護法には優生手術を中止する規定はない。本人が拒否した場合、国は身体の拘束や麻酔の使用、だまして手術することも認めていたが、県は審査会の決定を実現すべく「努力」を続けた。親は「農繁期が終われば受ける」と約束したが、再び拒否の姿勢に転じたり、「10月頃にしてほしい」と話したりするなど、娘を思う気持ちと行政の圧力の間で揺れ動いた。

県は6月30日、「期日を延ばすことにより、結局は手術を受けることをのがれようとしている。保護義務者の言うままにしていても時間を徒過するだけ」と結論付け、女性に7月31日までに「必ず受療するよう」通知することを決めた。

女性は不妊手術を強いられたのか。県健康寿命推進課は「開示した文書以外は残っておらず、優生手術台帳のような資料もないので分からない」としている。

■旧優生保護法

「不良な子孫の出生を防止する」との優生思想に基づき1948年に施行された。ナチス・ドイツの「断種法」の考えを取り入れた国民優生法が前身。知的障害や精神疾患、遺伝性とされた疾患などを理由に不妊手術や人工妊娠中絶を認めた。医師が必要と判断すれば、本人の同意がなくても都道府県の「優生保護審査会」の決定で不妊手術を行うことが可能で、53年の国の通知は身体拘束や麻酔使用、だました上での手術も容認していた。96年、障害者差別や強制不妊手術に関する条文を削除し、母体保護法に改定された。

<おことわり>

開示された公文書には現在使われていない不適切な疾患名や表現がありますが、記録性を重視し、かぎかっこに入れ表記しました。

<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟 葬られた生/幸せも夢も無駄に!偽りの台帳/本人同意なく手術!消えぬ差別/子ども 欲しかった!

旧優生保護法下で強制不妊手術を受けた宮城県の60代女性が30日、国に補償を求める全国初の訴訟を起こす。本人の同意のない手術により全国で約1万6500人、宮城県で約1400人が子を持つ人生を一方的に奪われた。母体保護法への改定後、障害を理由に手術を強いられた人もいる。偏見への恐怖で、これまで声を上げられなかった東北の被害者の実態から、今なお残る優生思想の陰を探る。(報道部・畠山嵩)

◎命ある限り 被害訴える

愛宕橋(仙台市太白区)を越え、路地に入った先に駐車場が広がる。ここには1962年6月から約10年間、宮城県が運営する強制不妊手術専門の診療所があった。

「何も知らされず子どもを産めない体にされた。人生が全て無駄になった」

飯塚淳子さん=70代、仮名=は16歳の時、卵管を縛る手術を受けた。軽度の知的障害を示す「魯鈍(ろどん)」が理由。「遺伝性の障害はなかったのに」。今でも怒りで声が震える。

7人きょうだいの長女として県沿岸部で生まれた。父親が病弱で家庭は貧しかった。民生委員から「生活保護を受けているなら、優生手術を受けないと」とでたらめな説明をされ、中学3年の時に仙台市内の特別支援学校に移された。

卒業後は知的障害者の職業訓練をする「職親」の下、住み込みで働いた。「他人の子だから憎たらしい」。背中に馬乗りになった職親の奥さんに言われた。ある晩、つらさのあまり逃げ出したが、すぐに連れ戻された。

63年1月、県の精神薄弱更生相談所(当時)で知能検査を受けさせられた。判定書は「身体的異状認めず」「態度良好」とする一方、「魯鈍」「優生手術の必要を認められる」とも記載。間もなく、行き先や目的を告げられないまま奥さんと愛宕橋を渡った。

診療所には、なぜか父親もいた。言葉も交わさず病室に入ると、注射を打たれた。気が付くと病室のベッドで寝ていた。その間の記憶はない。後日、実家で偶然、両親の会話を聞き、子どもを産めない体になったと知った。

生理のたびに耐え難い激痛に襲われた。仕事もままならず、介護職の夢も断念した。卵管の糸をほどくため東京都の病院を回ったが、縛るよりはるかに難しく、無理だった。子どもは諦めきれず、23歳の時に養子をもらった。

「国に補償と謝罪を求める」と決意し、20年ほど前に名乗り出た。日弁連に人権救済を申し立てるなどしたが、国は「当時は合法」の一点張り。他に訴え出る仲間も現れず、独りで声を上げ続けた。

昨年7月、宮城県在住の佐藤由美さん=60代、仮名=が被害を公表した。「新しい人に出てきてほしかった。頑張り続けたかいがあった」。涙が止まらなかった。由美さんは30日、国に補償を求める全国初の訴訟を起こす。

自分は訴訟に参加できない。手術理由などを記した「優生保護申請書綴(つづり)」を県が焼却処分し、証拠がないためだ。左胸には乳がんを抱えるが、訴訟に懸ける思いは誰よりも強い。

「人生を奪った国はきちんと責任を取るべきだ。自分が死んでも被害者が国を追及できるよう、命ある限り被害を訴える」

[強制不妊手術]「不良な子孫の出生防止」を目的に1948年施行の優生保護法の下、母体保護法に改定される96年まで実施された。優生保護法4条は遺伝性疾患を持つ患者に、都道府県設置の審査会が認めれば本人の同意なく不妊手術をできると規定。12条は遺伝性疾患以外でも、保護者の同意と審査会の決定があれば手術ができるとした。53年の国の通達は、手術のために身体拘束や麻酔の使用、被害者をだます行為も認めていた。

旧優生保護法下で強制不妊手術を受けた宮城県の60代女性が30日、国に補償を求める全国初の訴訟を起こす。本人の同意のない手術により全国で約1万6500人、宮城県で約1400人が子を持つ人生を一方的に奪われた。母体保護法への改定後、障害を理由に手術を強いられた人もいる。偏見への恐怖で、これまで声を上げられなかった東北の被害者の実態から、今なお残る優生思想の陰を探る。(報道部・畠山嵩)

◎強制的で人権を無視

「お姉さん、何運んでいくー」。宮城県内の自宅で昼食の支度をしながら、佐藤由美さん=60代、仮名=が同居の義姉路子(みちこ)さん=同=に元気良く声を掛ける。「お茶わん頼むね」と路子さん。実の姉妹のように仲の良い2人は、国と闘う同志でもある。

由美さんは、1歳で受けた口蓋裂(こうがいれつ)手術の麻酔が原因とみられる重度の知的障害があり、込み入った会話は難しい。30日、旧優生保護法による不妊手術の補償を国に求める全国初の訴訟を仙台地裁に起こす。意思をうまく伝えられない由美さんに代わり、路子さんが支え続けて提訴に至った。

優生手術台帳によると、由美さんは15歳の時、県内の公立病院で不妊手術を受けた。路子さんがその事実を知ったのは1975年に嫁いできた直後。風呂に入る由美さんに、へその下から縦に10センチ超の傷があるのを見つけた。

義母から不妊手術による傷だと説明されたが、詳細は分からずじまい。義母は2年前に亡くなり、手術の理由を知る人がいなくなった。「なぜ手術する必要があったのか」。疑問が常に頭を離れなかった。

2015年、強制不妊手術の被害を訴えていた飯塚淳子さん=70代、仮名=が日弁連に人権救済を申し立てたことを知り、「妹も同じだ」と気付いた。17年6月に手術に関する資料の開示を県に請求。翌7月に開示された台帳を見て、怒りがこみ上げた。

「遺伝性精神薄弱」。申請理由の欄に、そう記されていた。由美さんの障害は口蓋裂手術が原因で、他に精神障害のある親族もいない。併せて請求した医学判定記録の成育歴には、遺伝性負因は「陰性」と明記されていた。「台帳と違う。全部うそじゃないか」。憤りを隠せなかった。

由美さんは22~23歳の頃、地域の知り合いを通じて縁談話が持ち上がったが、子どもが産めないことを理由に破談になった。30歳前には卵巣膿腫で右卵巣を摘出。医師には不妊手術が原因となった可能性を指摘された。「妹は卵巣摘出まで日常的に『おなか痛い』と言っていた」と振り返る。

優生保護法が母体保護法に改定されて20年が過ぎた今も、地域の人から「障害者はどうやって生活しているんだ」と言われることがある。法律から障害者差別の言葉が無くなっても、障害者を差別する思想は残っていると実感する。

「問題は本人の同意なく強制的に、未成熟の段階で手術されたことだ。人権無視以外の何物でもない」と語る路子さん。「裁判を通じて実情を訴え、障害者が生きやすい社会につなげたい」と誓う。

[優生手術台帳]強制不妊手術の対象者の氏名や住所、手術申請理由、手術場所といった個人情報が記された書類。優生保護法施行以降の優生保護申請書綴(つづり)や優生手術審査会関係綴の内容を転記した物で、永年保存することになっている。宮城県は台帳を保存しているが、1962年度分の申請書、審査会の両綴を誤って焼却処分したため転記できず、現在は63年度以降の台帳しか残っていない。

旧優生保護法下で強制不妊手術を受けた宮城県の60代女性が30日、国に補償を求める全国初の訴訟を起こす。本人の同意のない手術により全国で約1万6500人、宮城県で約1400人が子を持つ人生を一方的に奪われた。母体保護法への改定後、障害を理由に手術を強いられた人もいる。偏見への恐怖で、これまで声を上げられなかった東北の被害者の実態から、今なお残る優生思想の陰を探る。(報道部・畠山嵩)

◎健常者との間 まだ高い壁

使い古された2003年版の茶色の手帳。11月のページを開くと、26日の欄に鉛筆で書いた「手術」の二文字がある。避妊のためのパイプカット手術を受けた日だ。

「子どもが欲しかった。だから結婚もした。手術は自分に対する殺人行為だ。忘れられるはずがない」

岩手県に住む高橋功さん=60代、仮名=は、兄夫婦から精神障害を理由に手術を迫られた。優生保護法が母体保護法に改定され7年がたっていた。「障害者には子どもを育てられないという考えが絶対にあったはずだ」と推し量る。

高校3年の時、統合失調症を発症。いじめなどが原因で幻覚を見始め、入院を余儀なくされた。高校卒業後は県内の大学に進んだが、なじめなかった。病状が不安定になり、半年もたたず退学した。

母親が営む酒店の手伝い、機械を使ったプレス作業、役所の臨時職員、季節工…。生活のため、入退院を繰り返しながらできる限りの仕事に就いた。

40代の時、当時勤めていた製作所で出会った女性と結婚を考えた。女性は統合失調症を患い、似た境遇。女性の両親も了承し、1995年に同居を始め、97年に披露宴を挙げた。

「子どもはつくるな」「籍は入れるな」。幸せな家庭を築こうとした矢先、兄夫婦は容赦ない言葉を浴びせた。仕方なく内縁関係を続ける中、女性は妊娠。1週間で流産した。兄夫婦の強い勧めで、女性は卵管を結ぶ不妊手術を受けた。ショックで病状が悪化し、再び入退院を繰り返すようになった。

「パイプカットしないと一生入院させる」。披露宴から6年後、入院先で兄夫婦が主治医に告げた。同席したケースワーカーの女性も「とにかくパイプカットしなさい」と迫った。盛岡市の病院に移り、病室を訪れた兄夫婦と母親に無理やり同意書に印鑑を押させられた。

2003年11月26日。車いすに乗せられて手術室に入り、局所麻酔をかけられた。暴れると、もっとひどい仕打ちを受けると思い、抵抗しなかった。「障害者は結婚も子どもをつくることも許されないのか」。絶望した。

男性は今、生活保護を受けながら1人で暮らす。宮城県の佐藤由美さん=60代、仮名=が国に補償を求めて提訴することは知っている。被害者は声を上げるべきだし、国と闘うべきだと思う一方で、自分は優生保護法に基づいて手術されたわけではない。常に「救われない」との思いに駆られる。

「法律が変わったのに、手術を強いられたのが悔しい。健常者と障害者の間には、まだ高い壁がある」

[母体保護法]旧優生保護法が目的として定めていた「不良な子孫の出生防止」が障害者差別に当たるとの強い批判を受け、同法を改定する形で1996年に制定された。「目的」の条文から優生思想に基づく部分を削除したほか、知的障害や遺伝性疾患を理由に認めていた本人の同意に基づかない不妊手術など、優生思想に関連する規定も全て除かれた。河北新報2018年1月25日